宇宙戦艦ヤマト

 私は1960年代生まれなので、大東亜戦争はもとより直接の戦争体験はない。それにしては戦争に関心があるのは戦争を直に体験した人たちの影響を受けていたからだと思う。記憶にかすかに残る少年漫画は戦記まんが「紫電改のタカ」だったりする。ラストが唐突な終わり方で、これが戦争というものなのかとぼやっと覚えた。赤塚不二夫の「おそ松くん」にしても、長編「イヤミ小隊突撃せよ」のラストに無常観を抱いたものだった。折しもテレビアニメでは「決断」などという大東亜戦争を描いたアニメが放映されていたりして、戦争の是非の前に戦争そのものを題材としたメディアが横行する時代に物心がついたと思える。戦後、数年間はタブーとされていた戦争物が解禁されて、東宝の8.15シリーズが夏休みの目玉として公開されていた頃だったのだろう。円谷英二の晩年に私は間に合っていたのだ。私に戦争を教えてくれたのは円谷プロ作品にたびたび現れた戦争の影であり、幾多のテレビまんがだった。「ウルトラセブン」はそもそも惑星間戦争の時代を背景として、はじめて人類間の平和が保たれているという皮肉な世界観をもっていた。

 「戦争」とは親しい仲間が無慈悲に命を奪われてしまうものだと私に教えてくれたのは、テレビまんが「ゲゲゲの鬼太郎」だった。その前後編で描かれた「妖怪大戦争」である。この作品は何度もテレビや映画で映像化されているが原作の味わいを、ある意味では原作以上に発揮したのは初期のモノクロ版である。ここでは西洋の妖怪に襲われた南の小島を救うべく、黄金で雇われた妖怪が戦いに赴く。鬼太郎、目玉親父、子泣きじじい、砂かけばばあ、ぬりかべ、一反もめん、ネズミ男。妖怪版「七人の侍」だ。西洋の吸血妖怪軍団の波状攻撃に次々とゲゲゲの森の仲間たちは殺されていく。最後に辛くも勝利をおさめて帰還する鬼太郎は俯いたきりだ。親父が語りかける。「どうした鬼太郎。我々は勝ったんじゃぞ。」「一反もめんが、ぬりかべが、子泣きじじい、砂かけばばあ……。みんな、みんな死んでしまった。勝ったって、ちっとも嬉しくなんかないや。」鬼太郎は泣き濡れてとりつくしまもない。親父は力強く諭す。「鬼太郎。戦争とはこういうもんなんじゃ。」ラストに漂う無常観は後述の古代進のそれとは次元が違う。喜びに溢れる勝利者はいない。他にも「妖花」等、珠玉の作品が胸を打つ、初期のモノクロ鬼太郎である。

 「巨人の星」に繰り返し登場した戦争の傷跡も忘れがたい。戦争体験は星飛雄馬の父親、一徹がらみである。一徹はそもそも戦争で選手生命を断たれた男だった。しかしそれ以外にも無名の戦友とのエピソードや沢村物語等印象深い話が連続した。後半の最大のライバルだったアームストロング・オズマに至っては自身がベトナム戦争に出征し、その怪我が元で落命する。厭戦感をつくづくテレビまんがで体験した。初期の「サイボーグ009」にも「太平洋の亡霊」という作品がある。超能力増幅装置を開発したマッドサイエンティスト。彼は一人息子を戦争で失い、その心の空白を埋めるために自分の想念をそのまま現実にできるという装置を完成させたのである。「やすらかに眠ってください 過ちは繰り返しませんから」と広島平和公園に刻まれた石碑、その上を飛び交う自衛隊の戦闘機。「不戦の誓いを忘れたのか。息子たちの死を踏みにじるつもりなのか。」マッドサイエンティストは太平洋に眠る亡霊たちに真珠湾攻撃を再現させ、さらに月光、紫電改、零戦、大和、長門を次々と太平洋の墓場から呼び起こす。神の力を得たに等しい彼にサイボーグ戦士たちはなすすべがない。……冷戦軍拡の時代に戦中派スタッフが投げつけた超弩級のメッセージが光るテレビまんがだった。

 小学生の最後に体験したのが「宇宙戦艦ヤマト」という好戦的なSFテレビまんがだった。とはいえ本放送の時はほとんど見ずに再放送で何度も見たのは中学生の頃だった。部活もまじめにやっていたはずなのによく見ていたものである。ヤマトは反戦ドラマではない。戦争ドラマだった。戦争の時代が日常のドラマだった。そこには反戦などという生ぬるいスローガンは存在しない。ズバリと言ってしまえば大東亜戦争の末期の日本のような世相が舞台である。地上は焼夷弾の雨霰、そして放射能汚染。それらを逃れて地下に潜るしかない住民。B−29をにらんで石を投げる少年時代を過ごしたのは長島茂雄だそうだが、なんのことはない、主人公たちは否応なく戦時に生きるしかない宿命を背負った少年たちだった。

 主人公、古代進は一方的な侵略にさらされた地球に生を受け、軍隊に入り地球防衛のために戦う好戦的な少年だ。彼よりは少し落ち着いた性格の親友、島。よい兄貴分の真田技師長。気弱な通信班長、相原。忠実な片腕となる南部。頼もしい後輩、加藤。正に紅一点の森雪。四十代とはとても思えない貫禄の沖田艦長の指揮の下、地球を救う装置をただでくれるというおいしい話にのって未知の航海に旅立つという物語。本来のフォーマットは上がりをめざす双六である。後のガンダムが上がりを目指すのではなく、素人の五目並べみたいな果てしない戦いのフォーマットになってしまったのとは偉い違いだ。

 松本零士がどこまで原作したのかは不明だが、宇宙を旅するロマンをレトロなメカで描きたかったとすれば、それは「999」の方がロマンチックな作品としてよくできている。ロマンチックとは叙情であって本来戦争という叙事的なものとはそぐわない。これは私的と公的の違いだろうか。ヤマトは「大和」であったがゆえにバッシングも多かった。しかし70年代に「ヤマトブーム」が起きて以降、初めてテレビまんがはテレビアニメと呼ばれるようになった。若者文化として認められ、つまり金を生むガチョウとおだてられ、以降、テレビまんがを再編集した劇場用アニメが活況を来すのである。それが引いては宮崎駿登場の必然を生む。

 「ガンダム」前後、「エヴァ」前後で括られるだろうジャパニメーションではあるが、「戦争」を扱ったアニメとしての「ヤマト」「ガンダム」「エヴァ」を寸評してみたい。

 初期の冨野監督の「戦記」志向は所謂「ファースト・ガンダム」の小説版に色濃く映っている。主人公アムロは自己完結型で内向的だった。自己同一性を模索し、自分の居場所を求めてもがいている。これをパロディしたとしか思えないのが「エヴァ」であり、碇クンだった。ダイコンV当時から有名だって庵野監督の志向はテレビ版最終回に如実に見える。戦争を描くのは目的ではなく、主人公の内面の正当性を訴えてみたかったに違いない。「メカや美少女さえ出せば何やってもいいんでしょ」という開き直りはあまりにもすがすがしい。よって「ガンダム」「エヴァ」双方とも戦争アニメとしては語るべき点は意匠程度のものでしかない。重要そうな登場人物があっさりと戦死しても、それは雰囲気作りのためであり、思わせぶりな枝葉を整理しただけにすぎない。主人公の成長しない苦闘を描いたという点でも同じであり、たまたま戦争の時代を背景にしていただけの自分探しの話だと言えなくもない。「巨人の星」は登場人物たちが戦後の立場で回想していたのだが、これらの作品では戦争という状況が背景としてたまたまはリアルタイムにあるだけである。要するに「自分が自分であること」を確認したかっただけの物語にすぎない。

 では「ヤマト」はどうなのか。好戦的な主人公の古代進は戦下の若者として、アムロや碇以上に悩まずに好戦的に敵を殺戮していく。ガミラス本星を破壊した後で「我々に必要なのは愛し合うことだった。だのに、俺たちは戦ってしまった。」などと勝利者が反省して見せても、殺戮された無辜のガミラス人は浮かばれない。所詮彼も卑怯なナルシストにすぎない。家族が戦禍の犠牲になったという個人的な恨みが種にあるので、いわば個人的な復讐のための戦いが、戦いそのものを通じて、古代を「宇宙の秩序と愛」を語るまでの人格者(?)に成長させていった。しかし、古代には「自分が自分であること」という自我は見られない。考えてみれば「自分が自分であること」、すなわち「自分らしい個性的な自分でなければ」ということに焦って破綻しているのは昨今の若者そのものである。戦後の民主主義という個人主義の悪影響である。自我などと言う者が芽生える前の子供に人権尊重というお題目を与えて、道徳を教え損なっている戦後日本。道徳というものは素朴な宗教観なくしてはあり得ないものなのだ。その点だけを言っても戦後のアメリカ的民主主義というものを魂もなく受け入れてしまった日本は、もう反省しなくてはならないギリギリまで追いつめられているような気がする。

 古代は宇宙人と戦い、アムロは地球人同士で殺し合い、碇は使徒という未知の生命体と戦った。三人はそれぞれに自分の正義を信じて戦っていた。自分の正義を信じて戦わない戦争というのはあり得ないわけだが、一兵士としての本音の部分ではその点はどう描かれていただろうか。私が「宇宙戦艦ヤマト」時代の古代進を買うのは、その危険なまでの一本気なところにある。彼は大東亜戦争時の予科練生のような一途な使命感に燃えていた。是非を問う余裕を与えられなかったせいもあるが、使命感を抱えて戦っていたのはこの三人の中では古代だけではないのか。それはアニメの主人公に個が確立されていない時代だったから仕方がなかったのか。否、自分でない誰かのために戦うことのできる人を美しいと思ってしまう私の感性のせいなのかもしれない。それは敵味方入り乱れての男気が炸裂する「さらば宇宙戦艦ヤマト」において頂点に達し、当然の結末としてヤマトは沈む。

 「宇宙戦艦ヤマト」は国家安康のために天竺にお経を取りに行く西遊記的な旅のロマンにあった。本来の目的は戦闘ではなく、いわば宇宙の「トラック野郎」である。それが証拠にヤマトとは今でも荷物を届ける会社の名前だったりもするのだ。

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