特撮談義2

 日本とアメリカを比較して不思議なのは何故、アメリカ映画には怪獣特撮がないのだろうということだ。とにかくでかい怪物による派手な都市破壊というスペクタクルは邦画の独壇場である。日本では憲法九条の関係で派手な戦争娯楽物は作れないと言う事情があるので、その腹いせに「怪獣退治と言うことなら存分に協力しまっせ。」という方便があるのかも知れない。いや、多分そうなのだろう。嬉々として自衛隊が活躍していた「ガメラ2」などはつくづくその証拠であると思える。その点、アメリカ映画は冷戦期は東側、その後は中東と敵を求め続けている。反戦を叫ぶ映画もあるが、戦争を娯楽とした映画も多い。現実の仮想敵国に敵国らしさが欠けてきても宇宙にまで敵を求めて、フロンテアスピリットとかいう侵略主義を広げてしまったりする。ちなみに最近では過去にまで敵を求めて、とうとう「パール・ハーバー」なんて映画を作って大日本帝国をやっつけて強いアメリカを確認したりしている。

 宇宙で出合うのはエイリアンだったりバグだったりするが、絶望的に巨大な怪獣の都市破壊という構図にはとんと巡り会わない。「ゴジラUSA」におけるゴジラはただのでかいトカゲのようだったし、「ジュラシックパーク」の恐竜も所詮でかい猛獣に過ぎない。もともと洋画の怪獣はトカゲに棘をつけただけだったり、虫を大きく撮しただけだったり夢のないことおびただしい。どうもハリウッドは人知を越えたスーパーモンスターはお気に召さないらしい。およそ火を吐くとか、まして光線を出すなどもっての他なのか。人間(アメリカ国民)が倒せないという生物などは設定自体がバットなのかも知れない。

 アメリカのスーパーヒーローもほとんどは人間。スーパーマンはクリプトン星人だがあれは移民してきた異邦人なのであって、軍役について国籍を得たかはしらないが、立派なアメリカ市民である。スーパーマン以外は基本的に人間の勇気と科学ですべてを解決してしまうわけだから、これぞ民主主義の伝道者なのかも知れない。ウルトラマンやガメラに守ってもらっている日本人の方が本当はどうかしているのだ。ウルトラセブンの戦闘能力はアメリカ海軍第七艦隊と同等という設定は憎いところを突いていると言うべきだろう。日本人にとってはウルトラマンやガメラはアメリカなのか?

 ハリウッドでは巨大ヒーローは存在しない。巨大ヒーローなどを出さなくとも自分たちが巨大ヒーローに匹敵する力があると思っているから、巨大ヒーローを必要としない。また自分たちが倒せない敵はないと頭から信じているから、人間が倒せないと言う生物、すなわち怪獣の存在は認めない。だから怪獣による都市破壊なんて全くのナンセンス、企画会議も通らないに違いない。

 つくづく円谷英二は偉大だったというべきか。いや彼の名前で代表される多くのスタッフがそれを成し遂げたのであるが、その遺産で今でも日本の映画界や子供たちは恩恵を受けているのだから。むろん、ゴジラに先駆けてキングコングや巨大恐竜物はあったにせよ、外国では怪獣物というジャンルは育たなかった。それを育てたのは円谷やその後継者たちである。ゴジラを頂点とする円谷怪獣は大自然の暗喩であることがある。自然と同化することで安心立命を得る密林的アジア文化圏と自然を克服することに意義を見いだす砂漠的西欧文化圏の相違だろうか。倒せない敵の存在を認めないアメリカンな正義感と大自然はもとより長いものには巻かれたがる日本人的諦観。彼我の文化の違いは特撮映画一つをとっても明らかである。

 アメリカでどこまで本当に日本の特撮映画や特撮ヒーロードラマが子供たちの指示を受けているのかはわからない。メイドインジャパンの文化がどれだけ世界で受け入れられているのかもわからない。でも、子供は世界各国、そんなに変わるものでもないみたいだ。アニメは世界で評価されているようだし、テレビ特撮も意外に大ブレイクしている。子供の心に国境はない。大人になると壁が出来るのだけなのかも知れない。そう、彼らは子供からアメリカ人になってしまうのである。

 特撮の話のはずが変な方向に行ってしまったなぁ

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