「リターナー」を見た。監督の名前は失念したが、「ジュブナイル」で珠玉の少年ドラマシリーズをスクリーンに再現しえた希有な才能の持ち主だったので、期待して見てしまった。金城武よりも「仮面ライダー龍騎」のイケメンライダーズの方がよほど演技が達者なのではと正直思った。演技者的に見るべきものは鈴木杏の健闘だけで、岸谷以下いつもの演技と言った感じで発見がなかった。物語は「E.T」を宇宙に返して未来を変えようという「ターミネーター」的使命を「マトリックス」風な「シティハンター」が果たすという展開でオリジナルに乏しかった。タイムパラドックスを扱ったことで言えば前作の「ジュブナイル」とも共通している。しかし「リターナー」は悪い映画ではない。日本でSFを描くとしたらこれしかないだろうという一点突破型アプローチだった。いいとこどりの物語を低予算で無事に実現させるために、登場人物を絞りこみ、スペクタクルを一切排して緊張感を盛り上げた。鈴木杏の男の子的演技がはまっていて、キュートだった。金城武にはもっとワイルドな存在感が欲しかった。凄腕のリターナーという設定が主に特撮に頼ってだけ表現されているのは遺憾だった。彼の雰囲気不足である。完全に敵役の岸谷に食われている。岸谷が過剰に孤軍奮闘していた映画だと言ってもよい。でも、脚本的にはよくできていたと思う。不満があるとすればラストバトルのヘリポートロケに予算が底をついたのか、アングル的に激しく制限されていたことくらいである。ともあれ、こういう作品は定期的に作り続けて欲しい。出演者に金を使わないでその分を製作費に回すような姿勢は好感が持てる。スターが映画を作るのではなく、映画がスターを作るのだ。
ハリウッドでリメイクされた「リング」がヒットしたらしく僥倖の至りである。初めて原作を読んだときは、これってつまり「えんがちょ」をそのまま小説にしただけじゃないのと呆れかえってしまった。しかし「リング」の最初のテレビドラマ版は実にキャスティングがよくて感心。タイムリミットものの緊張感に溢れ、テレビドラマのレベルを越えていた。映画の松嶋奈々子版はまだまだ奈々子の演技に問題があって不満。でも、怪談とも妖怪ものとも違う。ちょっと違った感覚のスリラーではあった。日本文化の中でも鬼っ子的なアニメが世界を席巻するように、日本映画界でも鬼っ子であろう「怪談映画」の現代版が世界に知らしめられるのは喜ばしいことである。
スリラーの元祖と言えば老舗東宝の変身人間シリーズ三部作である。「ガス人間第1号」「電送人間」「美女と液体人間」である。製作順ではないが、私の見た順ではこうだったのである。最高傑作と誉れの高いのは「ガス人間第1号」である。透明人間ではなくて、肉体をガス状に変えられるという設定が面白かった。でも、この映画の人気はクラシカルな悲恋ものであることにある。惚れた女にひたすら法を犯しても貢ぐ男。それを知って男と無理心中を遂げる女という古典的なメロドラマだった。
「電送人間」はアイディア的には「インビジブル」や「ザ・フライ」と同じである。物質電送機を使って犯罪をする男の物語。この犯罪の動機は大東亜戦争時代に日本軍の軍資金を横領したものたちへの復讐である。戦争の影を引きずっている次第を感じさせる。この映画の場合、終始探偵小説の形を取っている。第一の殺人が起こる遊園地の雰囲気が出色。昔の遊園地にあったのんびりした雰囲気が実によい。「美女と液体人間」はなんで「美女と…」なんだか今ひとつわからない映画。人間だった頃のかすかな記憶のままにかつての恋人に肉薄する液体人間。放射能を浴びてゲル状に変身した人間が動き回るというえげつない映像がじっとりとした感じで描かれています。液体人間なんだから焼けば退治できるだろうという東宝自衛隊的火力主義が炸裂するラストシーンは迫力がある。。
この東宝スリラーは三部作に+1、真打ち登場で幕を閉じる。言わずと知れた「マタンゴ」である。ハイソな若者たちがクルーザーで難破する。無人島に流された彼らを待ち受ける飢餓の恐怖。ジャングルの闇にうごめく化け物たち。食べれば自分も化け物となってしまう毒キノコ。仲間は死んだり、化け物となったりと、悲壮感と絶望感が募る。悪夢のようなのジャングル描写。作り物の迫力。生々しいヒロインの恍惚。主人公の絶叫。前三部作はまだそれなりに救われる結末があったが、徹底的に救済の道がないのがこの作品。円谷英二の特撮モラルに反するこの作品が、東宝特撮史上最高によくできているスリラーだったというのは皮肉なのか、なんなのか。
円谷英二の特撮モラルと言えば特殊メイクを使った恐怖演出に関するモラルである。円谷英二はこのようなことを言っていたらしい。「観客に恐怖を与える特殊メイクは体の一部を変形、欠損させることである。しかし、それはやってはならないことだ。」この言葉は戦中戦後の時代を過ごした円谷英二自身が街角ですれ違う傷痍軍人や戦争犠牲者等に対して抱いていた眼差しを図らずもカミングアウトしていると思える。ドライなハリウッドがスプラッタ演出に走った時に故円谷英二はどう思っていただろうか。日本の時代劇でさかんに血が吹き出ていた時代もあったが、あれはある意味、様式的なものがあったが、「悪魔のはらわた」以降のエログロスプラッタはリアルな殺戮に関心を見いだしている。未だに続いている「13日の金曜日」シリーズはスプラッタをかなり押さえているのだが、「ブンッと振られた斧が…」という暴力に対する生理的な怖さに訴えている。ゾンビやゾンビ的メイクは生理的恐怖に訴える時点でわかりやすいのだが、スリラーとしては低級だ。誰だって身を切られるような映像にはに弱いのである。「らせん」の真田広之の肋骨は見たくないのである。スリラーと言えばヒッチコックだが、彼の傑作にグロがどれほどあったろうか。円谷英二のグロ嫌いは正しくも頼もしい。……でも、自ら禁じていたタブーに挑戦したのが「マタンゴ」。空前絶後の一品。あの天才がただ一度、やってみたグロテスクな恐怖映画なのである。
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