サンダーバードの謎

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THUNDERBIRDS A GO!

サンダーバード 青く光る広い宇宙へ行け風をまいて

サンダーバード この世の幸せの為に行け海に陸に

青い空を乱す者は誰だ、呼んでいるあの声はSOSだ

サンダーバード 青く光る広い宇宙へ行け風をまいて


 スーパーマリオネーション版「サンダーバード」(1965)はストーリーも特撮も素晴らしい。その特撮におけるサンダーバード号の描写は初期の円谷プロのメカニックを完全に凌駕している。科学の力がひたすら人命救助にのみ注がれるというヒューマンなストーリー展開。科学への過信や人の欲望によって起こる人災を、科学と人の愛で救うという警鐘と皮肉。南の島の楽園に住む浮世離れした大富豪がファミリー総出で莫大な資産を湯水のごとく使い、自らの命を危険にさらしながら、隠密裏に壮大なボランティアに励むという夢のまた夢ようなお話。サンダーバードは消防士や山岳救助隊などの実在のレスキュー隊をスケール豊かにSFにしてみせた話である。悪漢退治ではなく人命救助、これがサンダーバードの行動目標となる。怪獣退治が専門の円谷防衛チームも人命尊重は課題だが、結果的にやっていることは自分たちにとっての害獣を殺しているだけだ。サンダーバードの理念は実に崇高で美しい。国際とはかくあるべしという理想の理念である。国際貢献のスタイルはまさにこれであるべきなのである。災害に対する国際的な救助隊。但し、戦災による被害の救済は戦闘国家間の自己責任でやるべきなので積極的な手出しはしない。世界中のどこへでも緊急時に天下御免で出動して救助給食の活動を行う。人道的支援に対して為政者が義捐物を外貨に換えて私腹を肥やすような国家に対しても、ミニマムの人間を救うためには「おにぎり」の絨毯爆撃をも辞さないようなヒューマンな組織。それが出来るのは世界の鬼っ子に過ぎない日本だけなのではないだろうか。と愚かな夢想をサンダーバードは促してくれる。

 スーパーマリオネーション版は今となってはさすがに人形劇ではあるが、2004年の実写版はミニチュアをCGに人形を生身の人間が演じることで現代に雄々しくサンダーバードを蘇らせた。(ちなみに日本版公式サイトではパパの誕生日は2009年1月2日とされている。未来の話だったのね。)見所は前作のデザインをかなり忠実に再現した新サンダーバード号の活躍である。1号や3号、5号はかなり忠実に描写されていた。ただ子供に一番人気があったと思われる2号とジェットモグラのデザインがかなり変更されていたのには不満が残る。特にジェットモグラは実在のトンネル掘りマシンのようにデザインされシャープさがなくなっている。4号やペネロープ号に関しては私は関心が低かったので、特に感想はない。ただタイトルロールを見る限りではペネロープ号はロールスロイスからフォード車に代わったみたいだった。1号や3号のスピード感はCGらしく素晴らしかったが、2号や5号の重量感、巨大感が乏しかった。私の見たところでは空飛ぶペネロープ号の描写に関してもCGのレベルは高いものではなかった。早くもCG特撮は行き詰まっているのか、単に予算をケチったのか。ウエルメイドのB級特撮映画を見るたびに感じていたことが、ここでのCG特撮には露骨に見えてしまう。

 余談になるが4号は何故、4号なのだろうか。海底での救助活動は確かに重要である。しかし、2号の搭載マシンの一つである4号の性格やポジショニングはジェットモグラと同じなのではないか。海底と地底の違いだけである。4号の方が活躍の場が多いから4号と言う称号を受けたというのは説得力に乏しい。そもそも1号から5号という呼称は愛嬌もなく、味も素っ気もないただのナンバリングである。ブレインズの開発順に従ったものだったとしたら、多分1号、次が2号、そして2号搭載メカの方が先に開発されたはずである。3号は5号との連絡用が主な活躍だった。宇宙での人命救助よりも地球でのそれの方が徹底的に多いはずだから、3号が人命救助に活躍する機会はかなり少なかったはずである。しかし、宇宙の無線中継基地であるところの5号が稼働していてこそ国際救助隊の国際たる所以がある。5号の諜報活動がサンダーバードの目となるのであって、彼らの活躍の場が本当に国際的になったのは5号(や3号)の存在があってこそだ。しかし一刻も早く人命救助に貢献したいと彼らは考えていたろうから1号と2号が完成した段階で出来る限りの救助活動を行っていたことだろう。1号と2号、そして搭載メカだけでも救助活動は行えるのである。3号よりも4号の方が先に開発されたはずである。すべてのメカを開発し終わり、改めてナンバリングしてから、サンダーバードが活躍を開始したというのは解せない。4号が4号たる由縁を考えると4号のネーミングには謎があると思えてならない。

 閑話休題。実写版の映画の話に戻そう。一言で言うとドラマをサンダーバードと悪漢フッドとの抗争に絞った展開で「スタートレック2」的な印象だった。つまり正編に対する続編のような印象なのである。サンダーバードジュニアたち(トレーシーボーイズ末っ子のアラン、ブレインズの息子←オリジナル、ティンティン←ミンミン)が試練を通して正規隊員に昇格する。罠に嵌って5号中で身動きが取れないパパや兄たちに代わって、子供たちが大活躍するという話は「スパイキッズ」や「ホームアローン」と化していたし、ペネロープのアクションシーンはまんま「チャーリーズエンジェンルズ」を彷彿とさせる。子供たちの夏休みお楽しみ映画と言った装いである。パーカーがいい味わいを一人で振りまいていただけに惜しまれる。続編的な映画ではなく、正しい一本の映画としてサンダーバードの世界を成立させるところから始めた方がよかった。たとえ平板で退屈な総集編的な映画になったとしても製作側にシリーズ化の目論みがあれば、きちんとベースを描いておかなければならないところだった。

 ストーリー的に何がいけないかというと、お子様向け100分映画に仕上げるためなのか登場人物を整理しすぎてしまった点があげられる。悪役トリオがピカートとコング、久本雅美というあまりにも明快なキャラ設定。顔の見分けもつかないトレーシーボーイズの面々がぞろぞろとはしゃいでいる様は、イケメンはただの没個性集団に過ぎないことを日本の芸能界にあてつけているかのようだった。ストーリーの流れも人命救助が二次的なものになってしまったせいで盛り上がらない。そもそも登場する災害は初めにトレーシーありきの仕組まれた人災ばかりである。サンダーバードは自分たちのために仕組まれた事件の解決に乗り出しているだけなので、達成感や成功感に乏しい。災害に苦しむ人たちの描写も皆無であり、助けられたことを感謝している人々の描写もない。金銭的報酬や名声を求めようとしないサンダーバードにとっての最大の報酬は被害者たちからの感謝の言葉のはずだが、それらの描写がない。市井の人々と絡むことなくして真のヒーロー物は描けない。「スイパイダーマン2」の最大の見せ場はスパイダーマンと電車の乗客たちのシーンだった。

 一番問題なのは主軸がずれていることだ。サンダーバードは人命救助が使命なのであって、悪漢退治を使命とする組織ではない。悪漢退治を軸にしてしまったことが映画版の大きな間違いといえる。消防士が放火犯を捕まえるのはお門違いというものだ。テロリスト退治は米軍に任せて、国際救助隊は崩落寸前のビルから人命を救うことに奔走する……それだけでサンダーバードがサンダーバードたり得る十分なストーリーが組めるはずだ。

 観賞後の後味として引っかかるのはサンダーバードの秘密についてである。秘密基地を占拠した悪漢たちは警察に捕まってしまったのだから、サンダーバードの秘密は露見している。悪漢たちが正当な裁判を受ける限り、サンダーバードの秘密は守られないのである。これは秘密を厳守することであらゆる国際政治のしがらみから解放され、人命救助を最優先に活動できるサンダーバードにとっては、存続に関わる重大な問題である。しかし、彼らは全く憂える様子はなく、いつものプールでリゾートしている。さらには某国大統領からと思われるホットライン。サンダーバードは某国に政治的に保護されている組織だったので、その秘密は保持されていると言うことなのかも知れない。うーむ。パパの顔がどこぞの大統領に似てきたと思えたのは私の気のせいだろうか。

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