中村主水の死

中村主水(藤田まこと)が「必殺!主水死す」で死んだのは、平成ゴジラの死と同時期だった。中村主水もゴジラ並に、その死というイベントだけで映画になるのかと痛感した。しかし、ゴジラの死と同様に大失敗だったのではないかと思われる「主水の死」だった。そもそも映画版での彼は詰めが甘い。傑作と呼び声の高い映画「必殺!V」において最後の敵を倒したのはおこう(松坂慶子)だった。あの映画では仲間の仕事人の屍を越えて、追いつめたあげくに鳶に油揚げをさらわれたといった感じで、消化不良この上ない。とはいえ、主水は「必殺4」での右京太夫(真田広之)との激闘ですっかり燃え尽きていたとしか思えない。体力と気力の限界を超えていたのも知れない。あんまり責めてはかわいそうだ。

 しかし、昨今の現代日本を眺めていると子どもから政治家、医者、警官、教師、検事、弁護士、あらゆる職場や世代や立場で不正がまかり通っている。「もう我慢出来ない!」というコピーで復活した「必殺!5」での主水はコピーこそは威勢が良かったが、既に死に体であった。そもそも「必殺仕事人X激闘編」の最終回だったか。あそこで主水はやってはいけない「裏技」をしてしまった。時の老中(神田隆。最後の演技)とその不正を見逃す密約を交わして、仲間の手配書を撤回させてしまうのである。仕置人時代のダーティな主水ならともかく、後味の悪いラストだった。その後の主水はどうもこじんまりしすぎていたようである。「必殺仕事人・激突」では経緯は不明だったが、大奥のお局様を元締めと仰いでいたのは堕落ではないかと思われる。

 ある意味で「大老殺し」の主水が最後の徒花的に格好良かったかも知れない。勝麟太郎(山本学)が仕掛けたこととはいえ、唐人お吉(坂口良子)への同情から井伊直弼を暗殺するという、主水最大の大仕事である。これはお吉への同情だけで、彼が捨て身の橋を渡るという設定がよろしい。必殺シリーズの最終回として呼び声の高いのはなんと言っても「必殺必中仕事屋稼業」における知らぬ顔の半兵衛(緒方拳)の身の処し方だろうと私も思う。最後に表の人生をすべてを捨てて敵を倒し、しかもあさましく生き残る。ヒーローっぽく死んではいけない。無様に生き延びる。そもそもアウトローらしい決着の付け方。できれば主水にもそうあって欲しかった。最後まで表の顔を保ち続けるか、完全な闇の住人になるかしてほしかった。「主水死す」はそのどちらでもない。中途半端な死だった。あれでは公式発表は「南町奉行所定町廻り同心中村主水。市中見回り中に殉職」である。勇次(中条きよし)たちは仕損じた仕事人として記憶に残すことだろう。そう、仕事人は仕掛けて仕損じてはいけないのだから。的を落として、自分が無事であることがプロのプロたるゆえんだろう。敵と刺し違えたら仕事人は失格なのである。 かつて「必殺仕事人X旋風編」では、自分の娘を産んだ女(中村メイコ)の殺気を障子越しにさえ感じた彼が、そもそもお千代(名取裕子)に背後から刺されるとは情けない。なんか制作者サイドにキャラクターへの愛情が欠けていたとしか思えない。というよりも主演の藤田まこと自身に主水への愛着が欠けていたというのがあったんでしょう。まっ彼には当時既に「はぐれ刑事」や「京都殺人案内」がありましたから。主水役者やボンド役者は、そのキャラクターを背負うことを嫌がるっていう解釈はどうだろう。

 しかし「天の裁きは待ってはおれぬ。この世の正義もあてにはならぬ。」というご時世ですから、遠からず必殺も完全復活するかもしれません。二代目中村主水と言うことで、一体誰が適任か。今は売れていない関西系のコメディアン?それとも「壬生義士伝」等、時代劇で新境著しい中井貴一あたり?彼はどっちかというと二代目大岡越前の方があってるかもしれない。役所広司や渡辺健では勿体ない。いや、中村主水の役は多分誰でも出来るのです。誰もが裏の顔を持っていて、誰もが自分のことを本当は正義の味方でありたいと夢想しているのですから、どんな役者がやってもそれはありでしょう。 

 ビデオで必殺を見たい人へのガイド。映画ではなくてテレビスペシャルで言うならば、初期の「恐怖の大仕事」「仕事人大集合」ですね。後期では「必殺忠臣蔵」「仕事人、京都へ行く 闇討人の謎の首領!」と言ったところがお薦めなのですが、もうビデオ屋で発見するのはかなり困難だと思われます。 

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