ここは私にまかせて

元々子供っぽい私は当然のように子供番組を見る機会が多い。テレ朝の日曜日の子供タイムは必見である。セーラームーン(再放送)から始まっておジャ魔女どれみまで二時間半はとても通して見てはいられないが、けっこう楽しい。かつてテレ朝は激闘タイムがあったなんてことを思い出してしまう。金曜夜の宇宙刑事から新日プロレス(初代タイガーマスクの時代)、ハングマン、必殺仕事人へと流れる三時間半である。あの頃はみんな元気だった。猪木もデジコンも中村主水も……。

 セーラームーン(再放送)とおジャ魔女どれみ♯の最終回の日がたまたま重なっていたので、その日はかなりハードな朝だった。敵の首領を倒すためにセーラー戦士が敵の本拠地に突入、うさぎを先に行かせるために一人ずつ敵と刺し違えて死んでいってしまうという展開の後は、おじゃ魔女たちが赤ちゃんの命を助けるために呪いの森に潜入、どれみを先に行かせるために一人ずつ呪いにかかって千年の眠りにつかされてしまうといった展開が続く。子供たちのトラウマにならないかしらんと心配してしまったくらいの自己犠牲の嵐である。

 守るべきもののために命を投げ出す任侠道の全う。考えてみたらどちらも三角マークの東映動画作品であったのだ。シリーズものの帰結として、ラストには夢落ち並みの復活をどちらの作品も果たしてしまうのだが、それはとってつけた救いでしかないだろう。おじゃ魔女はともかく、セーラームーンという世界は本来、クインベリルという敵を倒して終了なのだろうから、R以降のシリーズこそがファンの見果てぬ夢の続きだったというべきである。ちょうど、石ノ森章太郎のサイボーグ009が地下帝国ヨミ編で一度死んだ後に復活を果たすが、その膨大な続編が所詮は外伝でしかないのと同じように。

 殉職を最終回やクライマックスで盛り上げるための手段として使うというのは、「太陽にほえろ!」の例を出すまでもなく、物語の常套手段である。映画でもよくある。自分の身内の者が殺されて、その復讐で話を展開するものはあるが、そうではなく、それまで一緒に戦った仲間がラストの直前で、ヒーローやヒロインを庇って死ぬという展開でクライマックスを盛り上げる代表的な話といえばなんだろう。

 単純に言えば敵要塞攻略戦でよくありがちな展開である。最初は反発していたが、艱難辛苦を乗り越える途中で互いに友情が芽生え、しかも最後にはその友情のために命を落とす。前述のセーラームーンもどれみ♯も主人公を守ってサブキャラクターが全滅するパターンである。これは悲痛な展開だ。しかしこれが有効なのはテレビ番組などの長いスパンがあって、それぞれのキャラクターがよほど練られていて、観客に理解されてないとつらいので、映画には不向きである。

 「七人の侍」の場合は、あれは世界一キャラが立っている映画だから成功しているのである。それでも殉死は四人だけだった。時代劇アクションで紹介しているけれども「里見八犬伝」や「激突・将軍家光の乱心」「十三人の刺客」などは主人公を守って味方チームが全滅していく展開を見せるのだが、キャラが立っていないので盛り上がらない。キャラ立ちがしっかりしている例では、主人公を最後のステージまで導くために仲間が全滅してしまう「スケバン刑事2〜少女鉄仮面伝説」もあるが、おっと、これは映画版ではなくてテレビ版でしたから反則か。しかもやっぱり東映。

 「真田幸村の謀略」などに至っては主人公すらも犬死にするが、あまりにも無感動で掘り下がってしまう。「必殺V!裏か表か」「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」はテレビキャラクターが流用してあるから、感動して当然である。東映まんが映画の「キン肉マン」や「聖闘士星矢」あたりは毎度全滅していた。やっぱり東映映画だと言うべきか。まあ、総じてジャンプ系のマンガは全滅するが復活するという話が多い。派手な展開を好む体質なのだろうが、カタルシスのインフレを起こしていることは否めない。

 主人公を助けるために仲間が全滅するような映画は洋画には少ないのではないのだろうか。「プレデター」などは単に全滅してしまっただけである。「ザ・ロック」も主人公以外は全滅してしまうが、主人公以外の潜入チームはただの捨て駒であって、感情移入する暇もなかった。一人を救うために、というのが目的なのが「プライベート・ライアン」なのだが、そもそも納得がいかない設定の映画で、カタルシスは得られない。アメリカの民主主義と自己犠牲は相反するものなのかなぁ。「バーティカル・リミテッド」などは、レスキューという目的のためにレスキューチームが次々と殉死してしまうというミイラ取りがミイラ化していく展開ではあるが、ハラハラドキドキの方が強くて、仲間の死にいちいち泣いている暇はない。「パーフェクト・ストーム」なんてのは海難救助隊の映画かと思ったら、主人公たちが勝手に遭難して全滅してしまうと言う映画でした。

 「後は頼んだ」といって重要なキャラが人柱になってしまう展開は洋の東西を問わずに多い。地球人類滅亡をかけた彗星衝突日米決戦といえば「妖星ゴラス」対「アルマゲドン」だが、どっちも派手に犠牲になってますよ。ブルースはラストで延々と娘と会話しちゃったので、「頼むから、早く死んでくれよ。親父。」と地球人類をハラハラさせましたが、その点、ヘルメットに日の丸をつけていた田崎潤たちは冷静だったなぁ。山師みたいな油田堀りと宇宙パイロットじゃだいぶ心がけが違うのかなぁ。艦を守るために死を選らんでしまうスポックの「スタートレック2」も結局、復活してしまう。が、スタトレは009やセーラームーンみたいな展開だから、いかがなものかと思う。(2001年秋にサイボーグ009が三度テレビアニメ化したようである。最初の回の半分だけ見たけれども、原作のタッチを無闇に生かしていて、最近の石の森プロ系の活躍は素晴らしい・・・。息子の丈氏が天使編の映画化を目論んでいるという話を聞きましたが、本当なのかなぁ。やめた方がいいですよねぇ。あれこそ、見果てぬ夢として封印しておいた方がよいと思います。)

 セーラームーンの最終回の話を戻すと、仲間をすべて失ったうさぎが最強最大の敵と対決するのだが、敵は既にあまりにも強大なパワーを得て、彼女を圧倒する。高らかな笑いを浮かべ、うさぎを追いつめるクインベリルはこの世界に守るべき価値のあるものなどないと言い放つ。「信じてる。みんなが守ろうとしたこの世界を信じてる。お願い。お願い。銀水晶。みんなの信じてた世界をもっと強く信じさせて。みんな私に力を貸して。」彼女の傍らに死んだはずの、いや死んだセーラー戦士たちの幻が現れ、彼女の手を支える。・・・というあまりにもありがちで、鳥肌がたつ展開をみせる。(その後のセーラームーンは多分最終回の度に同じ事を繰り返しつづけたのでは無かろうか。)

 どうして、私はこういう話に弱いのだろう。・・・これは昔、渋谷パンテオンで観た「科学忍者隊ガッチャマン」や「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」のトラウマなのだろうか。それとも「大魔神 大いに怒る」のせいなのか。

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