角川映画

 角川映画。角川春樹事務所の映画。70年代後半に颯爽と映画界に乗り込んだ出版界の風雲児は次々と日本映画界に新風を巻き込んだ。予告編だけは面白い角川映画、優れているのはコマーシャルだけ。メディアミックスの洪水。批判も多かったが、優れた作品や人材を多く世に送り出してもいる。

 角川映画の功罪とは言わない。優れた点だけ並べよう。角川文庫と言えば金田一耕助。何人もの金田一耕助を世に送り出した。和風ホラーサスペンス的なノリの「犬神家の一族」は演技過剰の連続で、あの延長線上にあおい輝彦の「二百三高地」での名演もあると思えば感慨ひとしおである。石坂浩二の金田一ぶりは次作の「悪魔の手鞠唄」に軍配を上げるとしても記念すべき第一作として、いつまでも古びない傑作である。

 反面、続く「証明シリーズ」は特に「人間の証明」が当時の現代風俗の最先端を行っていたので、今見るとつらい感じがする。でも、この映画の最大の功績は松田優作に最初の超大作という舞台を用意してやれたことである。角川春樹の英断に瞠目する。未だに主題歌が耳に残っている。松田優作の最高傑作「蘇る金狼」も忘れがたい。海塁での戦闘シーンでの優作の美しい躍動感は今でも心に残る。「野獣死すべし」は最近の若い子に見せたい。青少年の犯罪防止のために見せてもよいのではないか。しかし「探偵物語」は抑えすぎた演技で、見所がない。

 角川春樹プロデューサーの英断として、他に「野性の証明」において高倉健を名実ともに日本のスーパースターに仕立て上げたことがあげられる。これ以前の高倉健はまだ東映の脂っこいニイちゃんの影(網走番外地的な)を引きずっていたし、任侠やくざ路線が実録やくざ路線にとって変わられて以来、鳴かず飛ばずの印象が強かった。それが「君を憤怒の河を渉れ」や「八甲田山」、「幸せの黄色いハンカチ」などの邦画大作ブームの主役に連続抜擢されることで、「ベリー・スペシャル・ワン・バターン」な、例の芸風を貫いて、今日に至るわけで、彼のスーパーキャラクターにどすんとはまったのが、「野性の証明」の味沢岳史役なのである。彼のアクションスターとしての最後の輝きもこれなのだ。その後定説となる「新人いたわり」もこの映画から始まる。以後、20年以上も彼は邦画のスーパースターの座を守り続けた。すごい。

 とにかく、あの頃の角川映画は映画がイベントであると言うことを教えてくれた。映画はメディアミックスの特別なイベントであり、文化の祭であると言うことを。アイドルが誕生し、小説家や脚本家、音楽家が脚光を浴び、企画から公開まですべてをイベントとして提供していく。映画のために月刊雑誌バラエティを創刊。映画のために同名のラジオ番組の製作。映画製作に夢があった。文化の華に見えた。

 角川超大作と言えば「復活の日」か。あれは角川映画の「超大作」にしては破綻が少なくて、風格を保ったと言っていいかも知れない。とにかくみーんな死んじゃうと言うのがいさぎよい。クリスマスのくじ引きや草刈正雄が殉教者のごとく行脚するシーンは賛否あると思いますが、ジャニスの歌声で帳消し。ジョージ・ケネディも角川映画に連投して70年代のB級アクション映画界の重鎮たる貫禄を見せてた。

 アニメも多く手がけたが、アニメは全体的に振るわなかった印象がある。「幻魔大戦」は夜景の美しさでも、「新・ルパン三世」の最終回に負けている。ちなみに「幻魔大戦」は私が映画館で見ているうちに居眠りをしてしまったはじめての映画である。二番目の映画が「銀河鉄道の夜」。要するにりんたろうと相性が悪いだけなのかも知れない。ともあれ、今ほどアニメーションが若者文化に根付かない頃に積極的に劇場アニメに挑戦して今の基礎を築いたのも角川映画の功績である。

 私の好きな角川映画は「戦国自衛隊」。黒澤映画と比べては貧相な合戦シーンだが、お祭り騒ぎのアブラギッシュなエネルギーに溢れている。いかにもゴルフ場の丘に見える稜線を横一列に武者が駆け降りてくる。今だったらCGでいくらでも増幅できるかも知れないが、いかにも角川映画らしい傑作中の傑作だと思う。なんか恥ずかしい素直な男たちの映画。とにかく男はあの映画を見るべきである。野望と挫折を実にほろ苦く描いている。さすがは「俺たちの旅」の斎藤光正監督である。

 時代劇では「魔界転生」が出色。BSあたりで12時間ドラマでリメイクしてほしい。テレビ東京の正月12時間ドラマには向かない内容だが、誰かに一度完全映画化をして欲しい原作だ。2003年の再映画化は華がなく失敗。「里見八犬伝」は中途半端なアイドル映画になってしまい無念。八犬士があれでは犬死だという愚かなラストシーンは邦画の自殺行為と言っていい不出来な映画だった。総じて角川映画におけるデューク真田の使われ方は失敗だった気がする。「伊賀忍法帖」でもラストが不完全燃焼だった。お寺は景気よく燃えていたけど……。薬師丸にとってはアイドルとしてのぎりぎりの作品。これ以降の彼女はもう見るのがつらくなる。角川春樹のかけた魔法の粉が落ちかかっていたと言うべきか、それとも彼女が「裸の王様」だったということか。彼女が二十年後にお母さん役で助演女優賞を獲るような女優に成長するとは思いもしなかった。

 ちなみに角川春樹一世一代の紙芝居「天と地と」は偉大なるラッシュフィルムと言った案配。あの映画のフィルムを使ってなにか別な映画が作れないかなぁ。とにかく異様に空しい映画だった。小室サウンドが薄っぺらな内容によくあっていたというと皮肉がきついかもしれないが、チケットを窓口で買った私には許されるコメントだろう。まことにバブリーな映画であって、角川映画そのものを体現する映画だった。

 角川春樹の絵作りは私としては親近感が持てる。非常に素人っぽいのである。つい自分もああいう撮り方をしている。「汚れた英雄」に特に顕著なのだが、対象に対して常に真正面から撮ろうとする。または真横から撮ってしまう。素人は斜めの演技を拾うという事が難しいらしい。私もついついそのような絵を撮ってしまうので、反省している。

 文句なしの傑作は「蒲田行進曲」。ほとんど反則な感動的なラスト。どうして深作監督があの映画を撮ることが出来たのか未だに信じられない。あんなにも、つかこうへい的な世界、つかこうへいの脚本とつかこうへいの役者たちを使い、かつ場違いな松坂慶子を使い、劇判に甲斐正人(土曜ワイド劇場の十津川警部シリーズ)を起用して、あの完成度。角川映画最高の奇跡の文芸大作である。つかこうへい原作の映画でただひとつ大成功したと言ってよい。「上がってくるんだ。ヤス。」泣けたなぁ。燃えた。併映がさめたけど。

 アイドル映画に関しては大林映画の項を参照してもらいたいが、角川三人娘は結局、みそっかすだった渡辺典子だけが未だに元気で頼もしい(快獣ブースカに出てくるママ役までこなしますから)。結局、芸達者な人が最後は残ると言うことである。原田知世は永遠の「原田知世」を今でも演じているみたいで怖い。薬師丸ひろ子の不思議な神通力も女子大生とか言われていたあたりが限界で、その後長く低迷する。私は彼女に関してはキティフィルム製作の「翔んだカップル」しか個人的には評価しない。「Wの悲劇」で女優開眼とか騒がれたのが、不思議でならない。あのラストのお辞儀がそんなに名演技なのか?角川映画退団の餞のための賛辞だったのではないか。彼女は「翔んだカップル」の一発屋女優(one and only)でよかったのではないだろうか。あの映画における薬師丸博子はあの映画における山葉圭そのものである。

 その後日本映画界は強力なプロデューサーが出てこない。強力なプロデューサーは煙たがられるのか追放の憂き目にあうばかりだ。角川春樹にしろ奥山和由にしろ。バブル期の予算を少しでも映画文化発展に回せていれば、邦画界はもっと活気のあるものになっていたはずだが、映画会社は土地に手を出して崩壊していった。映画屋は映画を撮り続けていればよかったのである。ハリウッド映画が過去の遺産のお色直しで興隆していることは歴史的事実である。日本映画を活性化するには鉄腕プロデューサーの出現しかない。次世代カリスマ・プロデューサーの登場が待たれる。角川春樹自身も最近は大人しいので物足りない。角川春樹が久々にプロデュースした「男たちの大和」は残念ながら往年の角川映画の域を脱してはいない。彼が遠ざかっているうちに人材が枯渇してしまったかのようだった。嶋田久作が動けるうちに「帝都物語・完結編」に出演してもらいたいし、角川春樹自身に角川春樹の役をお願いしたいのだが……。

 推理作家、篠田秀幸著「幻影城の殺人」の中に「ハルキ・ワールド」が登場する。要するに角川映画版のUSJである。「野性の証明体験ツアー」ではそのラストシーンを模した「死のトロッコ・コースター」。「ザ・戦国」では落城のシュミレーションである垂直落下絶叫マシン。「横溝正史ワールド」のウォーター・ライド。もし例の事件がなければ……角川春樹ならやってくれたかも知れない。かつての角川映画ファンは「幻影城の殺人」を読んでみるといい。

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