アクション映画は大好きですが、取り敢えずは時代劇から取り上げてみましょう。時代劇アクションと言えば「七人の侍」です。この名作には評価のしようがありません。およそどこを取っても無駄がなく、素晴らしく感動的なアクション映画です。他には敵中突破のスパイ映画的な要素の濃い「隠し砦の三悪人」。痛快娯楽作の「椿三十郎」。世間では「用心棒」の方が評価が高いようですが、私は「椿三十郎」の明るさが好きです。同監督の遺稿である「雨あがる」もよろしい。あのような時代劇はコンスタントに見たいものです。
勝新太郎の撮った最後の「座頭市」もよい。陣内の首がどぶに蹴落とされてしまうやつですね。ラストの緒形拳との斬り合いは勝監督らしい自己満足度が勝ちすぎていていただけなかったが、市の動きは小気味よくて実に爽快。とにかく強い強い。まるで「沈黙」シリーズのスチーブン・セガールみたい。それ以前の「座頭市」シリーズも数本見ましたが、みな良かった。勝新太郎は「座頭市」以前にも「折れた杖」などの映画の監督もしていますが、イーストウッドと同じでどうにも暗くなりがちでした。勝自身は実験的な現代劇が本当は撮ってみたかったのではないでしょうか。とはいえ勝プロダクションの時代劇はよいです。当時は残酷時代劇とか呼ばれたらしいですが、三隅研二は凄い監督だと思います。「大魔神怒る」が傑作なわけです。若山富三郎の「子連れ狼」シリーズも楽しい。一作目よりも二作目以降の方が面白い。シリーズものでは市川雷蔵の「眠狂四郎」もあるのですが、主役が立ちすぎていますけれどもファンにはたまらない映画だと思います。
工藤栄一監督ならば「十三人の刺客」ですが、十三人は多すぎて、もう少しキャラクターの味付けがほしかったと思います。後半ややだれそうになるのも演出のうちなのでしょう。長い戦闘シーンにもドラマが感じられました。しかし若山富三郎主演の「五人の賞金稼ぎ」だったか、潮健二が五人のうちの一人になっているマカロニウェスタン調の時代劇があったけど、あんまり面白くなかった。潮健二自身はイタチ男的キャラを軽妙に演じていましたが……。面白くないと言えば五社英雄監督の時代劇は面白くなかった。「闇の狩人」にしろ「雲切仁左衛門」にしろ、後の文芸路線にしろ、どうも氏とは波長が合わなかったらしい。林海象監督が撮った変な映画は、高嶋兄弟のステテコ君こと兄貴が主演の「ジパング」。地獄極楽丸が時代劇ヒーローのコスプレした連中を豪快に叩き斬るシーンは面白かったですね。
中村錦之介では当然ながら「宮本武蔵」。これは文句のないところでしょう。「一乗寺下り松の決闘」はそのシーンだけモノクロで撮られていて、凄い迫力でした。後に深作欣二監督の「魔界転生」に流用されていたのにはぶったまげました。中村主演の「沓掛時次郎 遊侠一代」はここで私の言う時代劇アクションとは言い難いかも知れませんが、情感溢れる実験的映像が自在に収まっている希有な作品でした。「忠臣蔵外伝 四谷怪談」は深作風仁義なきアクション映画としてよりも、ひたすら女優の魅力でもっている感じ。安いセットで撮ってしまったのは当時の松竹のお家事情なのか、とにかく失敗。忠臣蔵をアクション映画にしてしまったのは同監督の「赤穂城断絶」と市川崑監督の「四十七人の刺客」。しかし雪の討ち入りなのに吐く息の白い忠臣蔵を見たことはないので、およそ忠臣蔵はアクション映画としてはリアルさに欠けます。「四十七人の刺客」ではやたら水堀に落ちていましたが、体から湯気が上がるとかいった描写には気がつかなかった……。尚、前出の工藤監督の撮った忠臣蔵ではテレビ映画ですが「必殺・忠臣蔵」。討ち入りのシーンはきちんと忠臣蔵していて迫力がありました。
「五条霊戦記」はかなりロケやセットを工夫して頑張ってました。京劇を取り入れたアクションも素敵でした。殺陣は義経の軽さと弁慶の重さが好対照でした。ラストの決闘シーンを黒バックで処理してしまったのが心残りで、そこでこそもっと照明や背景美術に凝ってほしかった。はたまた「さくや 妖怪伝」。安藤希が凛々しくて、これまた素敵です。「妖怪百物語」を平成の世に蘇らせたスタッフの執念に乾杯したくなる力作です。こういうのを巡回映画で小学生にきちんと見せてやらねばいけません。安藤希がもっと大人の女性になってからパート2を製作してもらいたい。
「RED SHADOW 赤影」は役者が実にのびのびと快演しています。最初に布袋寅泰が出てきたシーンでは先行きに不安を感じさせましたが、その後の藤井フミヤと陣内孝則は怪演。実に気持ちよさそうに忍者と武将を演じていた。時代劇というよりはニンジャアクション。あのナチュラルな空中回転はCGを見慣れた目には一見に値するでしょう。また洋画を見続けた後に、日本の女優さんを見たのでその美しさに惚れ惚れしました。ニンジャ映画の傑作は「大忍術映画ワタリ」だと未だに思っていますが、この「赤影」も捨てがたい。昔の赤影とは似ても似つかない世界観ですが、安藤政信が爽やかに3代目赤影を演じています。昔の赤影は目だけ隠していましたが、彼は反対でしたね。この映画も予算が足りなくて、大きなセットが組めず、ロケ地や背景にも苦労の跡が忍ばれます。しかし奥菜恵のお姫様と麻生久美子のくノ一姿は貴重な文化遺産として保護しなくてはいけません。ストーリー的に「無敵の鋼」が如何に絡むのかと期待しましまが、肩すかしを食わされました。「無敵の鋼」を追及すると「タオの月」になってしまうからですかね。
平山秀幸監督の「魔界転生」を見ました。深作版はセット撮影が印象的でしたが平山版はロケを頑張っています。紀州大納言を担ぎ出したり、柳生衆を活躍させたりと原作に近い味わいがあります。深作版は役者が揃っていただけに比較してしまうと平山版は確かに苦しいです。何しろ東映ピラニア軍団の団長室田日出男が「宝蔵院胤舜」を、残酷時代劇で鳴らした若山富三郎が「柳生但馬守」を、元祖必殺仕掛人の緒形拳が「それからの武蔵」を、永遠のGメン75丹波哲朗が「刀匠村正」を演じているのです。このキャスティングに対抗するにはそれこそ魔界転生の術を使わないと無理です。佐藤浩一の演技力は千葉真一を凌ぐものがあるでしょう。しかし千葉真一は十兵衛を演じていたのではなく、十兵衛を千葉真一にしてしまっているのです。この差は大きい。長塚京三が演じた武蔵像のインテリ的解釈は悪くはないのですが、戦いの舞台選定からして非力な印象を与えかねません。そもそも木刀が短く見えるようではいけません。チャンバラにふさわしい俳優を揃えるというのがこの22年間で難しくなったと言うことでしょうか。
平山版は魔界衆を小出しに使ってしまったので強者が一同に会する、勢揃いのカタルシスに欠けるのが最大の難点です。しかし島原の乱の描写や紀州藩の大名行列をはじめとするCGの効果は目を見張るものがあります。天草四郎の首の飛び具合は深作版の頃と比べると抜群のセンスの良さとクオリティです。但馬守との親子対決を深作版の炎に対して平山版は雨、明らかに深作版に挑戦している気概さえ感じられます。しかし十兵衛との対決に期待を抱かせるためには、前もって魔界衆の圧倒的な力量を見せつける必要があるはずなのですが、その強さの見せ方に工夫がほしかったと思います。最大の収穫は前作の細川ガラシヤを上回るクララお品の妖艶さでしょう。(平山版「魔界転生」については「あずみ」のページをさらにご覧ください。)
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