「新造人間キャシャーン」の前口上のかっこよさに惹かれて、「CASSHERN」を観た。年輪を重ねた納谷悟朗のナレーションも懐かしく始まったその映画は……
私は「新造人間キャシャーン」というアニメを観ていない。一回くらいは観たが、なんか根暗な印象で覚えていない。アニメの実写化が盛んな映画業界でキャシャーンが実写映画となるというので観た。最初のシーンからしばらくの間実に人造的な映像でこれを映像美というのかが大いに疑問な世界だった。この手の映像はCGの出始めの頃にさんざんゲームでやられたものだ。既視感が発生するのはつまりどっかで観たなぁと言う新鮮味のない証拠である。宮崎駿監督作品によく出てくる2プロペラだらけの飛行機械まで引っ張り出している。格段とした新しいイメージがあったとも思えない。画面を加工したり、CG合成との画調合わせをしたせいなのかざらついた映像が続き、モノクロになったりセピア調になったり光が無意味に滲んでいたりしているのは初期の大林作品にも似た映像遊技といった印象だ。「ブレードランナー」の美術は湿っていたが、こちらの映像は錆びたような無機質感で終末をイメージさせるには一役買ってはいるのだが、奥行きがなく空気を感じさせない。かの「ねらわれた学園」のオープニングはそれなりに美しいものだったが。あれを全編やられちゃたまらない。チープに見えるようなCG特撮には百害あって一利なしである。
21世紀の特撮レベルは「それが特撮だと思わせない特撮」を目指すべきであって、「これが特撮だ」ではもういけないと思われる。ツメロボ軍団の進撃にしてもただのCGアニメにしか見えず臨場感がない。「スパイキッズ3Dゲームオーバー」はCGゲームの世界で遊ぶというコンセプトだから仕方がないわけだが、あんなCGロボ軍団を何千体並べたってしらけるだけである。ロドリゲス監督は低予算で映画を作るのにCGは欠かせない、フィルムはもう過去の遺物だと断言している。それは確かに一利も二利もある。しかしCMやプロモ映像ならいざ知らず、2時間半も人に連続して見せていいような映像にはこの「CASSHERN」は仕上がってはいない。途中何度も居心地の悪さを感じたのはストーリーや演出の不可解さだけではなく、この生命感のない映像タッチのせいでもある。CG以外の特撮では雪の描写が今時見てられない稚拙さ。つまり自然が描けていないのである。美しい自然が既に失われている世界だったとしても、ならば雪山の美しさくらい描けばよかったろうに。東邸の植物園はいつも花盛りだがこの花々は全く美しくない。兵士にガスマスクをつけたがるのは何の余興なのだかわからないが、兵士の貧弱な肉体と相まって軍隊のイメージを貧相にしている。(それとも彼らは新人類帝国ファントム軍団のファントム兵士。つまり、ここに登場する人類は実は新人類であって第七管区に住む人間たちが実は旧人類ことオリジナル人類だということを、イナズマンをモチーフに表現しているのか……?)
大東亜共栄圏を実現したような亜細亜連邦とは、いわゆる日本が大東亜戦争に負けなかったら……みたいな世界のようで、この設定に新味はないけど悪くはない。昨今の世界情勢を取り入れた、この全体主義国家像は連想させるものが豊かでスリリングである。あちこちの戦場で日常的に起こっているだろう虐殺や反抗勢力をテロとする呼称なども今日的解釈である。この映画のまず最大の問題点を上げておくと、これは企画段階から誰でも指摘したことだろうから、製作者たちの思惑なのだろうが、市井の人々がいっさい登場していない点である。市民とか庶民とか言う人々が全く存在していない。半世紀も戦争を継続し、環境破壊からくる「公害病」(なんたる病名 !)に病む人間たちの日常生活が全く出てこない。無機質な世界。身分差別による階級闘争がまかり通っているらしいが彼我の差も別段描かれてはいない。正義のヒーローは名もなき無辜の民を守る、または自分の愛する者を守って戦うものだが、この世界には守るべき存在はない。守るべき掛け替えのない存在の描写がなくては正邪の戦いは描けない。ツメロボット軍団の進撃による人的被害をきちんと描かず、新造人間たちが虐殺されるシーンばかりを描いたので、観客は人間側を早々に見捨てざる得ない。全うに自己主張しているキャラクターはブライや上条中佐くらいで、とても観客の感情移入を引き受けてくれるようなポジションではない。正邪の戦いを描くつもりは製作者側には微塵もないというところか。正邪でないとしても対抗する二つの勢力の激突を描くには双方が理想とする守るべき何かが美しく描かれていなければならない。それがアクボーンの幻に出てくる変なアニメや焼け跡の植物の二葉でしかないというのはイメージが貧困であるといわれても仕方あるまい。理想の平和像や「ささやかな幸せ」を彷彿とさせる互いのバックボーンがビジュアルとして全く提示されていない。繰り返されるブライの主張は言葉だけであって現実的ビジョンがない。やるやる詐欺の総理大臣みたいである。
私流に物語を要約するとこうなる。東博士の提唱する「新造細胞」とは人体の取り替えパーツを作る技術のことである。しかし研究は一向に進まないので、博士のスポンサーである軍部は人間狩りを実施し、バラバラにして培養液に浸しておき、あたかもパーツの開発に成功したかのように粉飾し、博士の研究の遅れを誤魔化していた。東博士の息子、鉄也は父への反抗心から志願して戦争へ。結局何をしていたかというと父の研究のための人間狩り、死体集めに従事していた。鉄也は精神を病み戦死。ある日、「アンパンマンに命を与えた命の星」のような稲妻が死体の培養液に落ちた。このことでバラバラにされていた死体たちは復活する。このゾンビたちは新造人間と呼ばれ、軍部は秘密を守るために抹殺しようとする。新造人間の中には超人的なパワーに覚醒するものもいてその長がブライである。東博士が「新造細胞」の研究に没頭していたのは愛する妻ミドリを公害病から救うためだったが、なりゆきでミドリをブライたちは攫われてしまう。ミドリを奪い返すために東博士は戦地から届いた鉄也の死体を命の稲妻のパワーが残っている培養液に浸し、鉄也を無理矢理生き返らせる。ブライたちはツメロボット軍団のプラントを手に入れ、人間皆殺し戦争を仕掛ける。大戦争で結局みんな死んでしまう。死者の魂たちは集まり、命の稲妻を作って別な天体めがけて宇宙を飛んでいってしまう。
こうまとめてしまうとまるで「バタリアン」か「スペースバンパイア」かなんかのC級SFオカルトみたいだ。要するに「新造細胞」なんてものは元々存在していないのである。この映画が「劇場版新造人間キャシャーン」ではなく「CASSHERN」なのは「新造人間」も「キャシャーン」も実は出てこないからだ。「新造細胞」に関する突っ込みはやめておいて、この映画をヒーロー映画として考え直してみよう。鉄也は正義のヒーローなのか。上条将軍たちは自分の命を守ろうとして汲々としている。東博士は妻ミドリの命を守ることだけを考えている。これらはとりあえずは正しい行動原理だろう。しかしブライや鉄也には守るべきものはないようだ。ブライは人間に虐殺されたという恨みがある。だから人間を皆殺しにするのだという。守るべきものはないが、殺すべき者がいるのである。ところが鉄也には何もない。ルナを愛しているかもしれないが、彼女のために戦ったという感じでもない。サグレーとの戦いや最初のブライとの戦いは緊急避難的なもので確たる動機が見いだせない。覚醒した戦闘能力の暴走のようだ。戦場から逃れたいというトラウマを持つ彼は自分の意志の下に戦うその後の戦いでは大して強くないのである。その後、バラシンとの戦いにおいて「第七管区の人々を守って」戦う「伝説の守護神キャシャーン」を名乗るが、それは場当たり的なものであって、彼の行為が「第七管区」を守ったことになるのかもはなはだ疑問である。「第七管区」の人々の描写も実に不明瞭で生活感が乏しく世界観が掴めない。「第七管区」の人々を守るというのも鉄也にとってはかつて自分が軍人として、ここでブライやバラシンたちの虐殺に手を貸していたことに対する贖罪である。最後の大戦争で人類は結局、破滅してしまったようにしか見えない。元々正義なんて言うもののない世界観の中に大義名分は存在しない。
戦争に対するメッセージ、人類に対するメッセージは登場人物が直接観客にしつこく訴えているのでコメントする余地はないが、劇場映画としてはそもそも失敗作である。映画は映画として完結していなければならない。すべての謎は与えられた尺数で解き明かすものであって、他の媒体のサポートを受けなければ全容が見えないような映画作りは以ての外である。映画作家は映画の中だけで勝負すべきであって、語り切らなくてはいけない。映画以外の場で自作の弁護はするべきではない。不完全な自己表現を勘違いして悦に入るのは、自分で消せない火を弄ぶ児戯の如く傲慢不埒で危険な行為である。「命の稲妻」にしろ、ツメロボットのプラントにしろ、ゾンビたちのスーパーパワーの秘密にしろ、何もかもが説明不足である。解釈は観客の皆様にお任せするという無責任は娯楽作品には当てはまらない逃げ口上だ。映画は表現であって説明ではない。しかし訳のわからない表現を2時間半も付き合わされた観客は気の毒である。「ガメラ」の樋口や「あずみ」の諸鍛冶が噛んでいながら、この活劇ビジュアルの貧困さは何故なのか。麻生久美子一人すら満足に撮れないのに、樋口可南子を殊更に美しく撮ることに妄執するのは不可解の極みである。監督が自分の若い女房以上に若く美しい女性を撮るのを女房が許さないのか?日本屈指のクリエイターが監督の周囲に集ったそうだが、作品のことを本当に考えているスタッフはいなかったのだろうか。こういう映画の場合のテーマは反戦でも愛でもなく「新造人間キャシャーン」そのものでなくてはいけないのだ。日本屈指のクリエイターたちへの評価をこんな作品で下げさせてよいはずがない。
さあ、気を取り直して映画館へ足を運びましょう。次は「キューティー・ハニー」に挑戦だ。「DEVIL MAN」「忍者ハットリくん」「鉄人28号」と史上最強打線が続く。助っ人には「スパイダーマン2」「サンダーバード」も控えている。とはいえ日本の映画興行も某プロ野球チームの球団経営も、首脳陣の考えに大差がないとは寂しいものだ。
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